シパキラー協定(読み)しぱきらーきょうてい

世界大百科事典(旧版)内のシパキラー協定の言及

【コムネロスの反乱】より

…この動きは急速に他の諸都市に波及し,首都ボゴタは2万の民衆によって攻略された。同年6月7日副王の代理人としての大司教とベルベオとの間で,反乱軍の解散を条件に巡察使の解任,新税の撤回,公職への植民地人の登用をうたったシパキラー協定が結ばれたが,副王はそれを拒否し,翌82年反乱軍は植民地政府軍により弾圧された。なお植民地独立運動の萌芽として重要なこの反乱が敗北した最大の原因は,白人商人層が最後までピスコAmbrosio Piscoを指導者とするインディオ大衆派と一線を画していた点にあろう。…

※「シパキラー協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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