シメオンの城(読み)しめおんのしろ

世界大百科事典(旧版)内のシメオンの城の言及

【修道院】より

…彼がコプト語で書いた戒律は早くからギリシア語やラテン語に訳されて,東西ヨーロッパに広く流布したし,彼の弟子エウゲニウスEugeniusと70人の修道士とはこの方式を遠くメソポタミアのニシビスにまで伝えた。
[東方の修道院]
 オリエント諸地方の修道形態は多様であって,パレスティナのガザやユダイアではラウラlauraと呼ばれる散居修道院の形式が多かったし,シリアでは高い柱の上で苦行する柱頭行者が多く,〈シメオンの城〉と名付けられた修道院遺跡(カラト・セマーン修道院)はその一端を今日にまで伝えている。シリアの北方の荒涼たるカッパドキア地方に修道制を広めたのはアルメニアの主教エウスタティオスEustathios(300ころ‐377ころ)であるが,ここでは彼の勧めで修道士となったバシレイオスの方が歴史上著名である。…

※「シメオンの城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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