シャイフ・ムバーラク(読み)しゃいふむばーらく

世界大百科事典(旧版)内のシャイフ・ムバーラクの言及

【アクバル】より

…それらの勢力を倒したあと,60年代後半になると,絶対君主としての地位を固める方策をとっていった。シャイフ・ムバーラクShaykh Mubārakおよびその2人の息子アブール・ファイズ・ファイズイー,アブール・ファズルらを側近にし,自らの支配を理論的に擁護させようとしたのはその一つのあらわれである。また,彼は,バーブル,フマーユーン以来の,中央アジア出身の部族の伝統を継ぐ軍事体制を改革して,ラージプート軍団を主力にとり入れた新たなムガル軍事体制をつくりあげようと試みた。…

【ムガル帝国】より

… 帝国の支配機構はアクバル時代中期に整えられた。その時アクバルのもとで活躍した人物はシャイフ・ムバーラクShaikh Mubārakとその2人の息子で,とくに年少の息子アブール・ファズルは歴史書《アクバル・ナーマ》《アクバル会典》の叙述・編纂をしたことで有名である。帝国の支配は全土を12(後に15)の州(スーバsūba)に分けて行われたが,中央からの直轄支配領域はおもに北インドであった。…

※「シャイフ・ムバーラク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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