シャルマネセル(読み)しゃるまねせる

世界大百科事典(旧版)内のシャルマネセルの言及

【ニムルド】より

…長い中断ののち1944年から63年までイギリスのM.E.L.マローワンやD.オーツらが精密な発掘を行って重要な事実を明らかにしたが,その後イラク政府とポーランドが,遺跡の保存工事を行い,展示施設をつくりながら発掘を進めている。 都市はやや東西に長い不整形な長方形で,南西隅に王城,南東隅にシャルマネセル城砦とよばれる第2王城区があり,ここに2門,東辺中央と北辺北寄りに各門を設ける。発掘は王城に集中していて,北にジッグラトとこの都市の守護神ニヌルタの神殿があり,ほかに1神殿と大きな北西宮殿など6宮殿が明らかにされた。…

【アッシリア】より

…しかしこの王には,あえてバビロニアに大規模な攻撃を加えて蹂躙(じゆうりん)せず,同根の文化と宗教を持つこの隣接先進地域との相互交易と文化交流に努めたり,カルフ(ニムルド)を再建してこれを首都とし,広大な宮殿を造営して,その治世中に早くも帝国の文化センターとする,という側面もあった。次王シャルマネセル3世Shalmaneser III(在位,前858‐前824)は領土をさらに拡大した。この時期から,有能な王の下において,新しく帝国に編入されて属州となったばかりの征服地に入ったアッシリアの役人たちの示す行政事務機能の優秀さが目立ってくる。…

【シリア】より

… 前9世紀になると,再興したアッシリア帝国がシリアの各都市やパレスティナの小王国を征服し始めた。前853年のカルカルの戦では,ダマスクス王とイスラエル(北王国)王のほかに12の王が連合してシャルマネセル3世と戦ったが,それから数十年の間にこれらの小勢力はほとんどすべて攻略され,住民の上層部は強制移住させられた。シリアのアラム人の独立時代は,前732年にダマスクスがティグラトピレセル3世に占領されたときに終わったが,彼らの隊商世界とその言語とはその後の西アジア史できわめて重要な役割を演じた。…

【アッシリア】より

…しかしこの王には,あえてバビロニアに大規模な攻撃を加えて蹂躙(じゆうりん)せず,同根の文化と宗教を持つこの隣接先進地域との相互交易と文化交流に努めたり,カルフ(ニムルド)を再建してこれを首都とし,広大な宮殿を造営して,その治世中に早くも帝国の文化センターとする,という側面もあった。次王シャルマネセル3世Shalmaneser III(在位,前858‐前824)は領土をさらに拡大した。この時期から,有能な王の下において,新しく帝国に編入されて属州となったばかりの征服地に入ったアッシリアの役人たちの示す行政事務機能の優秀さが目立ってくる。…

※「シャルマネセル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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