シャー・アブドゥル・アジーズ(読み)しゃーあぶどぅるあじーず

世界大百科事典(旧版)内のシャー・アブドゥル・アジーズの言及

【サイイド・アフマド・バレールビー】より

…北インド,ウッタル・プラデーシュ,ガンガー(ガンジス)川中流域のラーイ・バレーリーの貧農出身で,ムジャーヒディーン運動を指導した。彼はシャー・ワリー・ウッラーの子,シャー・アブドゥル・アジーズShāh ‘Abd al‐‘Azīz(1746‐1824)のもとで学んだ。アブドゥル・アジーズが,異教徒イギリス人のインド支配に対する抵抗をムスリムの義務として訴えたとき,彼は,それをムスリム一般大衆に説いて回った。…

【パン・イスラム主義】より

…〈イスラム世界〉の統一を目ざす思想,運動。すでに早くシャー・ワリー・ウッラーの子のアブドゥル・アジーズShāh ‘Abd al‐‘Azīz(1746‐1824)が,1803年イギリス支配下のインドはダール・アルハルブ(戦いの家)であると宣言するファトワー(意見書)を発して,オスマン帝国カリフへの帰属感を表明したように,それは近代のムスリム世界の状況の中でしばしばカリフ制やダール・アルイスラーム(イスラムの家)の概念に即して求められた。…

※「シャー・アブドゥル・アジーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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