世界大百科事典(旧版)内のジェニー,W.L.B.の言及
【高層建築】より
…当時,鉄道事業の発達とともにアメリカ中西部の商業,工業の中心地として発展し始めていたシカゴでは,急激な人口の集中による都市化が進む一方,1871年に起こった大火によりそれまでの木造による商業施設の大部分が焼失し,復興のための建設ブームを迎えていた。その中にあって,ジェニーWilliam Le Baron Jenney(1832‐1907)やホラバードWilliam Holabird(1854‐1923)らのシカゴ派と呼ばれる建築技術者らは,従来の煉瓦や石の壁によって建物を支える組積造によらない新しい構造形式による建築をシカゴの町に建て始めた。それは,当時建物の装飾や構造材に補助的に使われていた鋳鉄と,土木分野や工業製品に使われ始めた鋼を柱やはりに使用した,シカゴ構造と呼ばれる鉄骨構造の高層建築であった。…
【シカゴ】より
…シカゴは建築家にとって絶好の市場となり,のちに多数のスカイスクレーパー(摩天楼)を設計・建築したL.H.サリバンをはじめ多くの建築家をひきつけた。サリバンは73年,シカゴに移住してジェニーWilliam Le Baron Jenneyの弟子となったが,ジェニーは最初の鉄筋建築ホーム・インシュアランス・ビル(1885完成)を建て,シカゴに摩天楼の時代を開く(シカゴ派)。再建はすみやかに進み,73年の不況をくぐりぬけたシカゴは経済的にもいっそう発展した。…
【超高層建築】より
…アメリカにおけるポストモダニズムと東南アジアの超高層建築ブーム)である。
[高層建築の誕生]
W.L.B.ジェニーやL.H.サリバンらの建築構造技術者や建築家らは,在来工法であった組積造の建築に代わり,当時開発されたばかりのベッセマー鋼と鋳鉄を柱やはりといった構造部材として採用した,〈シカゴ構造Chicago Construction〉と呼ばれる高層建築をシカゴの町に次々と建設していった。それらは当時実用段階に入り始めていた電動式エレベーターや水圧エレベーターを備えていたため,従来4~5階建てであったシカゴの町のスカイラインを一新した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」