ジガ・ベルトフ集団(読み)じがべるとふしゅうだん

世界大百科事典(旧版)内のジガ・ベルトフ集団の言及

【ゴダール】より

…68年5月の動乱以後のゴダールは,〈ゼロに戻って再出発する〉ことを宣言する。ブルジョア文化としての映画の制度,方法,概念,すべてを根底的に廃棄し,五月革命の若き指導者であったダニエル・コーン・ベンディットと共同で《東風》(1969)を,マルクス=レーニン主義の思想家ジャン・ピエール・ゴランと共同で《万事快調》(1971)などをつくり,〈ジガ・ベルトフ集団〉を結成して,〈ヌーベル・バーグ〉によって打ち立てられた個人としての〈作家の映画〉の概念を否定し,反ブルジョア的な〈集団映画〉を志向し,マルクス=レーニン主義と階級闘争のテーマを,〈政治映画として撮るのではなく,純粋に政治的に映画化する〉試みを行う。ゴランと決別し,〈ジガ・ベルトフ集団〉の解散後も,〈集団映画〉(あるいは個人としては〈報道の根底的再組織〉をめざす――闘士たること)への志向は持続し,パリを去ってグルノーブルにVTRのスタジオ〈Sonimage〉(音=sonと映像=imageを組み合わせた名称)をつくって,3人目の妻となる思想家・運動家のアンヌ・マリー・ミエビルと共同で,現代の消費社会における性と政治をテーマにしたVTR作品《勝手にしやがれNo.2》(のち《No.2》とのみ改題,1975),パレスチナ革命の思想方法と工作方法をテーマにした《ヒア&ゼア こことよそ》(1976),そしてグルノーブルからジュネーブに居を移してからの《パッション》(1982),《カルメンという名の女》(1983)に至るまで,その試みは続いている。…

※「ジガ・ベルトフ集団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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