世界大百科事典(旧版)内のジムリリムの言及
【バビロニア美術】より
…ユーフラテス川中流域のマリではこのころから再び繁栄期をむかえ,前18世紀前半にバビロン第1王朝のハンムラピ王によって滅ぼされるまで華やかな文化が栄えた。マリのジムリリムZimri‐Lim王の宮殿は,複雑な機構をもった宮殿建築の遺例として知られているばかりでなく,壁画が発見されたことでも名高い。とくに〈玉座の間〉の北側にもうけられた中庭の南壁面には,ジムリリム王が神から王権を授けられる場面が表されていた。…
【マリ】より
… テルは北西から南東に長い平行四辺形で,長辺900m,短辺600m,高さは14.6mある。ジャムダット・ナスル時代からパルティア時代までの遺構のなかで,初期王朝期の宮殿とイシュタル神殿,ハンムラピの攻撃を受けて敗れたジムリリムZimri‐lim王(在位,前1790‐前1759)の宮殿などが顕著なものである。宮殿は代々の王たちが必要に応じて拡大していったもので,間取りはシュメール風の住居と同じ原則により,屋根のない中庭のまわりにさまざまな部屋を配置してある。…
※「ジムリリム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」