世界大百科事典(旧版)内のジャズ・メッセンジャーズの言及
【ジャズ】より
…しかしその陰に,貧苦に耐えながらチャーリー・パーカーやバド・パウエルなど黒人モダニストのレコードに耳を傾けて勉強する,守安祥太郎(1924‐55),龝(秋)吉(あきよし)敏子Toshiko Akiyoshi Tabackin(1929‐ )を筆頭とする一群のアングラ・ミュージシャンがいた。その意味で1961年1月,黒人ドラマー,アート・ブレーキー率いるジャズ・メッセンジャーズJazz Messengersの来日公演が知識層に与えたカルチャー・ショックは重要である。黒人ルーツとしてのジャズがあらためて見直され,地道に黒人バップ,ハード・バップを学んできた宮沢昭(1928‐ 。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」