世界大百科事典(旧版)内のジャンセニストの言及
【キリスト教】より
… しかしフランスでは,中世初期のガリア教会の伝統をつぐガリカニスムによって教会と国家は一体であるとの考えがあり,これにもとづいてユグノーを圧迫してきたが,ウェストファリア条約ではローマ教皇を支持しないとの態度を強く表明した。絶対王政を代表するルイ14世は〈太陽王〉と呼ばれ,みずからも〈神の代理者〉と称してユグノーを弾圧し,さらに恩恵と自由意志の問題でイエズス会と争ったジャンセニスト(ジャンセニスム)を弾圧したが,そのガリカニスムは教皇をも抑え,イエズス会の教会中心主義とも対立することになった。教皇クレメンス14世は1773年にイエズス会に解散を命じたが,それは教会が政治に干渉することの無益を知ったからにほかならない。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」