世界大百科事典(旧版)内のジャーニーベク・ハーンの言及
【カザフ族】より
…民族名が史上初めて登場するのは,15世紀中ごろである。そのころ,ウズベクのアブー・アルハイル・ハーンに圧迫されて,キプチャク・ハーン国の左翼を支配した王族の後裔ジャーニーベク・ハーンJānībeg Khānを戴く遊牧集団は,シル・ダリヤ流域から西部天山北麓へと移住した。彼らはウズベク・カザクÖzbeg‐Qazaq,あるいは単にカザクQazaq(放浪者,冒険者の意)と呼ばれ,ウズベクから離れた者をも吸収して,キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大していった。…
【キプチャク・ハーン国】より
…チンギス・ハーンが長子ジュチに与えたイルティシュ川流域の所領が,西方に拡大発展して成立した遊牧国家(図)。1243‐1502年。〈ジュチのウルス(所領)ūlūs‐i Jūchī〉と呼ばれ,ロシア人は金帳ハーン国Zolotaya Ordaと呼んだ。版図は,東はイルティシュ流域から西はドニエストル川,北はブルガールから南はカフカス,シル・ダリヤ中流域に及び,ルーシ(ロシア)も属国となって貢租を支払った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」