世界大百科事典(旧版)内のジュヌ・フランスの言及
【フランス音楽】より
…シェーンベルクらの試みは,フェルーPierre Octave Ferroud(1900‐36)らの現代音楽発表のための国際的機関である室内楽協会〈トリトン〉が鋭意紹介に当たったが,大勢は占めなかった。 その間にみられた当時の音楽のある種の抽象性に抗議して,メシアン,ジョリベ,ダニエル・ルシュール,Y.ボードリエら4人がグループ〈ジュヌ・フランス〉を1936年に結成した。彼らは抒情性,人間的な感動,誠実さを音楽に取り戻そうと意図したのである。…
【メシアン】より
…音楽院卒業の翌年(1931),パリのトリニテ教会のオルガニストに就任,以後オルガニストを務めながら作曲の筆をとった。36年にジョリベ,ダニエル・ルシュール,ボードリエらと作曲家のグループ〈ジュヌ・フランスJeune France〉を結成,1920年代以来の主流であった〈六人組〉の新古典主義に反発し,音楽におけるヒューマニズムの回復を主張した。 第2次大戦に一兵卒として動員され,40年ドイツ軍の捕虜となった。…
※「ジュヌ・フランス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」