世界大百科事典(旧版)内のジョンストン報告書の言及
【賠償問題】より
…極東委員会では賠償の分配に関する合意が成立せず,47年4月のアメリカ政府のGHQへの指示により暫定的な施設撤去が開始され,49年5月までの2年間に4000万ドル相当分の工業施設・機械類が搬送され,中国は2000万ドル分,フィリピンは800万ドル分,イギリスは700万ドル分,オランダは500万ドル分を受け取った。 この間,アメリカは対日政策を転換して経済復興と政権の安定を急ぐようになり,それに合致する賠償方針として〈ストライク報告書〉(1948年3月,主要軍事施設を除いた生産設備の撤去禁止を勧告),〈ジョンストン報告書〉(同5月,日本経済の早期自立を図るため,日本に対する経済的負担の軽減を勧告)が提出され,1949年5月,極東委員会において,アメリカのマッコイ代表が賠償のための日本の経済施設撤去の中止を宣言した。51年9月に調印されたサンフランシスコ講和条約は,連合国が1945年9月2日以前の戦争行為から生じる賠償請求権,直接軍事費に関する請求権を放棄する旨を規定し(14条),同時に,日本軍の侵略によって与えられた損害と苦痛に対しては条約発効後の個別交渉に基づき賠償が支払われるべきことを規定した。…
※「ジョンストン報告書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」