世界大百科事典(旧版)内のジーベル=フィッカー論争の言及
【イタリア政策】より
…のち王統の断絶でハインリヒ6世はシチリア国王をも兼ね,息子フリードリヒ2世はシチリア統治に専念し,これがシュタウフェン朝の没落を早める一因となった。 イタリア政策の功罪をめぐり,19世紀にドイツ歴史家の間で皇帝政策論争(ジーベル=フィッカー論争)がおこった。批判論者は近代ドイツの政治的分裂の原因が,中世ドイツ皇帝がイタリア経営に力を注ぎ国内統治をないがしろにした点にあるとし,擁護論者はイタリア政策がその時々の国内事情と密接に結びついていたと主張し,その後,後者が有力になりつつあるとはいえ,論争は現在まで尾をひいている。…
※「ジーベル=フィッカー論争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」