世界大百科事典(旧版)内のスウェーデン戦争の言及
【三十年戦争】より
…この法令はそれまで中立の立場を守っていた新教派諸侯をも反皇帝の側に立たせることになったが,旧教派の側でも皇帝の勢力が強大となることを恐れる諸侯と皇帝との溝が深まり,旧教派諸侯は皇帝に迫って,1630年ワレンシュタインを罷免させ,皇帝の軍事力を低下させた。
[スウェーデン戦争(1630‐35)]
皇帝勢力の北進は,北ヨーロッパでの勢力拡張をはかっていたスウェーデン王グスタブ2世アドルフの介入を誘発した。グスタブ2世はフランスの援助の確約をとりつけて,1630年6月ポンメルン(現,ポモジェ)に上陸し,新教派の有力諸侯ブランデンブルク選帝侯,ザクセン選帝侯の協力を得,31年9月にザクセンのブライテンフェルトBreitenfeldにティリを大敗させ(ブライテンフェルトの戦),南ドイツ,西ドイツへと進出し,31年にはボヘミアのプラハをも占領した。…
※「スウェーデン戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」