世界大百科事典(旧版)内のスクラダノフスキー兄弟の言及
【映画】より
…のぞきからくりを映写装置に変える試みに成功したのはリュミエール兄弟であった。
[シネマトグラフの登場]
スクリーンに映写する実験はエジソン自身もすでに1889年に行っており,リュミエール兄弟以前にも,ドイツのスクラダノフスキー兄弟によるふつうのロールフィルムで撮った連続写真をスクリーンに拡大映写したビオスコープbioscopeなどもあるが,リュミエール兄弟が発明した撮影機兼映写機シネマトグラフ(当初は映写式キネトスコープkinétoscope de projectionと呼ばれていた)は,現実そのままの〈動き〉をとらえスクリーン上に再現する装置であった。95年12月28日,パリのグラン・カフェの〈インドの間〉で世界最初の有料試写会が行われた。…
【ドイツ映画】より
…第1次世界大戦後の〈表現主義映画〉,そこから出発して国際的な評価を得たエルンスト・ルビッチ,フリッツ・ラング,F.W.ムルナウ,G.W.パプストといった監督たち,レニ・リーフェンシュタールのオリンピック記録映画によって代表される1930年代のナチス宣伝映画,そして国際的なスターとして知られるウェルナー・クラウス,コンラート・ファイト,マルレーネ・ディートリヒ,アントン・ウォルブルック,クルト・ユルゲンス,ホルスト・ブーフホルツ,ヒルデガルド・クネフ(アメリカではヒルデガード・ネフ),ロミー・シュナイダー,マリア・シェル,マクシミリアン・シェル,ゲルト・フレーベ等々の名が,〈ドイツ映画〉のイメージを形成しているといえよう。…
※「スクラダノフスキー兄弟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」