世界大百科事典(旧版)内のスケンク,J.M.の言及
【ユナイテッド・アーチスツ[会社]】より
…フェアバンクス主演の《ダグラス大王》(1919),グリフィス監督の《散り行く花》(1919)および《東への道》(1920),ピックフォード主演の《青春の夢》(1920),チャップリン監督の《巴里の女性》(1923)および《黄金狂時代》(1925)などがつくられたが,フェアバンクスやピックフォードの人気は永続的なものではなく,チャップリンの仕事はスロー・ペースで,またグリフィスは《東への道》だけは興行的に成功したもののヒット作がなく,24年にはアドルフ・ズーカーと契約してパラマウントへ去ってしまう。 25年にはジョゼフ・M.スケンクJoseph M.Schenck(1878‐1961)がユナイテッド・アーチスツの社長に就任,ルドルフ・バレンチノ,グロリア・スワンソン,バスター・キートンといったスターと契約し,プロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンを傘下にいれて20年代を維持した。30年代に入ると,ハワード・ヒューズ製作の《地獄の天使》(1930)や《暗黒街の顔役》(1932)などによって業績を残し,さらにロンドン・フィルムのアレクサンダー・コルダとも手を結んで大作《ヘンリー八世の私生活》(1933)などを配給した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」