世界大百科事典(旧版)内のスコットランド宗教改革の言及
【スコットランド】より
… スチュアート王家,フランス勢力と結びついたローマ・カトリック教会に対する反抗として,1559年宗教改革戦争が始まり,J.ノックスの指導のもとにカルバン系の改革教会が樹立された(1560)。スコットランド宗教改革は親イングランド的運動でもあり,イングランド女王エリザベスの支持を受けた新教勢力とカトリック女王メアリーとの対立はメアリーの退位として終わり(1567),その後を継いだジェームズ6世は,1603年イングランド王兼摂(スコットランドとイングランドの同君連合)のためロンドンに赴くまで,貴族・牧師層を懐柔して巧みな統治を行った。チャールズ1世は父王と異なり政治目標の実現に急であり,世俗領化していた教会領の収入を旧に復し,かつスコットランド教会とイングランド教会の信仰の統一を実現しようとした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」