世界大百科事典(旧版)内のスコロパツキー,P.P.の言及
【ウクライナ】より
…ウクライナはドイツと講和を結び,ドイツ軍との協力のもとにソビエト軍をウクライナから追放した。しかし18年4月ドイツ軍は中央ラーダ政府をクーデタによってスコロパツキー政権に代え,農村からの収奪を強行した。ドイツ軍が18年秋に撤退した後,19年を通じてウクライナは激しい内戦の舞台となった。…
【ラーダ】より
…中央ラーダ政府はドイツ,オーストリアと単独講和を締結し,同年3月にドイツ,オーストリア軍の協力の下にウクライナをソビエト・ロシアの手から回復した。その後中央ラーダ政府はドイツ,オーストリア占領軍と穀物徴発をめぐって対立し,4月にはドイツ軍の後押しするスコロパツキーPavel P.Skoropadskii(1873‐1945)将軍のクーデタによって倒され,中央ラーダ政府の要人は多くが外国に亡命した。【中井 和夫】。…
※「スコロパツキー,P.P.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」