世界大百科事典(旧版)内のスチューデント・パワーの言及
【学生運動】より
…これらの学生組織は,多くが日本にブントが誕生したのと同じころ,反ファシズムや民族解放,人種差別撤廃問題などを理念として結成され,それが中国文化大革命の影響や旧態依然とした大学制度への不満,さらにベトナム戦争への反戦,平和の運動として拡大していった。1967年11月〈教育制度の改革〉を掲げたパリ大学ナンテール分校学生のストライキがベトナム反戦,ド・ゴール体制打倒のたたかいと呼応して,68年5月10日カルティエ・ラタンでの警官隊との大衝突でピークを迎えたフランスの五月革命,カリフォルニア大学バークリー分校での学生反乱を筆頭にアメリカ中の大学を席巻したベトナム反戦,大学制度改革を主張したアメリカの〈スチューデント・パワー〉を中心に,世界各国で大学紛争が巻き起こった。 だが,この〈ニュー・レフト〉〈スチューデント・パワー〉のヨーロッパ,アメリカ,日本を覆った嵐も,73年のベトナム戦争の終息とともに,一つの目的を達したかっこうで急速に沈静化し,各国とも全国的な学生組織が分裂,あるいはその実態を失った。…
※「スチューデント・パワー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」