世界大百科事典(旧版)内のセクエンティアの言及
【キリスト教音楽】より
…今日の研究によれば,その間に予想以上に北方からの影響が強かったことが指摘されている。グレゴリオ聖歌の最後の発展段階に好んで作られたのは,セクエンティアsequentia(続唱)とよばれる歌唱形式であるが,シラビックで韻律的な旋律の作り方や同じ楽句を2度ずつ反復して先へ進む形式に,同じ時代の騎士歌人トルベールの〈レーlai〉の形式や,中世の世俗舞曲〈エスタンピーestampie〉と共通するものが見られるのは興味深い。 単旋律の聖歌であるグレゴリオ聖歌の最後の発展期であった12~13世紀は,同時にポリフォニー(複旋律)音楽の発展の時期でもあった。…
【キリスト教文学】より
…この時代にようやく芽ばえたドイツ文学にも,オトフリートの《福音歌》,低ドイツ古語による《救世主》の宗教的記念碑がある。 つぎの世紀はオットー1世による文教の復興期で,各地の修道院を中心に詩人・学者が輩出したが,中に特筆すべきは,中世ラテン宗教劇の圧巻であるガンダースハイムのロスウィータの多く殉教者伝に取材した6編の散文劇と,教会音楽に重要な地位を占めるミサの続唱(セクエンティアsequentia)の発展である。これはすでに9世紀後半ノトカーBalbulus Notkerらを先行者とし,ザンクト・ガレン修道院から各地へ広がり,やがて12世紀に〈やさしきイエスの思いは〉の《バラの続唱》(作者不詳),つづいて〈来ませ尊き御霊〉の《黄金続唱》(S.ラングトンまたは教皇インノケンティウス3世作)などを生んだ。…
【ドイツ音楽】より
…ドイツ音楽の原点は,おそらくこの段階におけるゲルマン精神とラテン的キリスト教精神との対決にあるといわねばならない。9世紀に創設されたスイスのザンクト・ガレン修道院でくふうされたトロプス(進句)およびそれに次いで起こったセクエンティア(続唱)は,ゲルマン人にとって歌いにくいラテン語歌詞のメリスマ旋律を,新作のラテン語歌詞の付加により歌いやすくしようとした,いわゆるグレゴリオ聖歌のゲルマン的変容の最初の例である。これはまたオルガヌムのような初期多声音楽の発明とも密接な関係をもっている。…
※「セクエンティア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」