世界大百科事典(旧版)内の《そしてすぐに日は暮れる》の言及
【クアジモド】より
…1941年,ミラノのG.ベルディ音楽学院の文学教授に招聘され,同市に定住。生地の島シチリアへの憧憬を澄明な言葉で歌いあげた詩編の集成《そしてすぐに日は暮れる》(1942)によって,エルメティズモを代表する詩人と見なされるにいたった。ファシズム後期の圧政下に《ギリシア抒情詩》(1940)の刊行をはじめ,ホメロス,カトゥルス,ギリシア悲劇の翻訳に励み,43年9月以降の熾烈なレジスタンスの時期に,惨苦に満ちた状況そのものを直視した詩編を綴り,解放後,《来る日も来る日も》(1947)以下一連の詩集として発表,戦前の抒情詩から叙事詩へ,独白(モノローグ)から対話(ダイアローグ)へと開かれた詩を目指し,詩人の社会的責務を説いた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」