世界大百科事典(旧版)内のタルゴビツァ派の言及
【スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ】より
…こうなるとスタニスワフはロシアの期待に反してセイムと対決することを避け,むしろプロイセンと90年に同盟を結んでセイムの改革運動に積極的に協力するようになり,また,コウォンタイらと協力して91年には〈五月三日憲法〉を成立させた。 92年に露土戦争が終結し,ロシアの支援が期待できるようになった保守派(タルゴビツァ派)はペテルブルグで連合を結成した。攻め入ってきたロシア軍の圧倒的な優勢をまえにしてスタニスワフはエカチェリナ2世の要求に従うほかなく,国王みずからがタルゴビツァ派に参加することで〈四年セイム〉による改革運動に終止符が打たれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」