世界大百科事典(旧版)内のタンギー親爺の言及
【画商】より
… 19世紀になると,公立美術館や美術展覧会が増加し,それまで芸術家のパトロンであった宮廷や教会に代わって,資本家,実業家による投資や投機のための収集がふえ,ジョルジュ・プティ,ウィルデンスタイン,セリグマン,ネードラーら有力画商が輩出した。とりわけ,バルビゾン派や印象派に無名時代から注目して顧客を説得したデュラン=リュエル商会,後期印象派の画家たちに親しまれた小画商〈タンギー親爺Le Père Tanguy〉(1825‐94),保守的ながら兄の友人たちをとりあげたテオ・ファン・ゴッホThéo van Gogh(1854‐91)らが,近代画商としてあげられる。 19世紀末以降,ボラールはセザンヌ,ゴッホ,マティス,マイヨールらの個展を続々と開き,豪華本の石版画集を刊行し,忘れられた過去の画家たちを発掘して,20世紀画商の典型となった。…
【ゴッホ】より
…しかしながら,画家としての才能が開花するのは,86年から88年にわたるパリ生活で印象主義の洗礼をうけてからである。それまでの暗い鈍重な色彩は消え失せ,《タンギー親爺》(1887)に代表される明るい筆触が画面を満たすようになる。これにはまた,日本の浮世絵版画からうけた強い印象がはたらいている。…
※「タンギー親爺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」