世界大百科事典(旧版)内のダキア人の言及
【ビホル】より
…歴史的にはこのビホル県と現ハンガリー領のハイドゥー・ビハルHajdú‐Bihar県にまたがる地方をいう。古代にトランシルバニアにダキア王国が成立した時代,ここにもダキア人が居住し,ローマのダキア征服後もこの地方はローマの属州とはならず,自由ダキア人が住んでいた。4~9世紀の民族移動期ののち,10世紀にはビホル城を根拠として原住民(ブラフ人とスラブ人)の同盟の長であるメヌモルトMenumorutがこの一帯を支配していたことが年代記に記されている。…
【ルーマニア】より
…現在のルーマニアとハンガリーをめぐる政治状況および両国の歴史学界の交流の現況から見ても,この論争に終止符が打たれるまでにはまだ時を必要とするであろう。現在のルーマニアの歴史家の意見によれば,ダキア人とローマ人の混交によって生じたダコ・ロマン人が彼らの祖先であり,中世初期の文献では彼らはブラフVlahと呼ばれていた〈アルーマニア人〉の項目参照)。いわゆる民族大移動の時期におもに山間部に避難した彼らは,ドナウ・カルパティア地域に分散して居住し,やがて小さな〈くに〉を形成するようになったが,14世紀に国際情勢の変化とブラフ居住地域の膨張によってワラキアとモルドバの二つの公国をつくった。…
※「ダキア人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」