ダッシン,J.(読み)だっしん

世界大百科事典(旧版)内のダッシン,J.の言及

【ギリシア映画】より

…さらに彼はアンソニー・クインで《その男ゾルバ》(1965)を撮り,キャンディス・バーゲンで《魚が出てきた日》(1967)を撮ったが,彼の作風はしだいにギリシアの現実をはなれ,ハリウッド資本に頼ったこともあって一種の観光映画にすぎないとの評も出た。一方,マッカーシイズムでアメリカを追われたダッシンJules Dassinが,ギリシアにきてメリナ・メルクーリの主演で撮った一連の映画,《宿命》(1956),《日曜はダメよ》(1960),《死んでもいい》(1962)などがギリシア映画と呼べるか否かは微妙である。コスタ・ガブラスCosta‐Gavras監督にも似たような問題があり,このフランスで育ったギリシア人の傑作《Z》(1968)は,現実にギリシアで起こった政治家暗殺事件についてのギリシアの作家バシリコスVasílis Vasilikósの小説を原作としているが,舞台は架空の国である。…

【セミ・ドキュメンタリー映画】より

…その最初の作品がドイツのスパイとFBIにバックアップされた逆スパイの戦い,情報合戦を描くヘンリー・ハザウェー監督の《Gメン対間諜》(1945)で,特定の家に出入りする人物たちを隠しカメラで撮ったような画面が実感と迫力十分で新鮮な印象を与え,以来このスタイルが1940年代後半に大流行をもたらした。エリア・カザン監督の《影なき殺人》(1947),ヘンリー・ハザウェー監督の《出獄》(1948)はいずれも犯罪容疑者の無実立証までの社会派ドラマであり,そうした頂点がジュールス・ダッシン監督の《裸の町》(1948)で,ニューヨークでオール・ロケされた。徹底的な盗み撮りで撮られた大都会の街頭は,セットやエキストラでは得られぬ生命力と現実感をもち,最後に追いつめられた犯人が橋の頂上に逃げのぼり,はるか脚下のテニスコートに遊ぶ人々が視界に入るカットの生々しさは,セミ・ドキュメンタリーの方法が単なる奇をてらった際物ではない可能性を示し,世界の映画に大きな影響を与えた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」