チャグリー・ベク(読み)ちゃぐりーべく

世界大百科事典(旧版)内のチャグリー・ベクの言及

【セルジューク朝】より

…その子イスラーイールIsrā‘īl(?‐1032)は,サーマーン朝,次いでカラ・ハーン朝,ガズナ朝と同盟して力を伸ばした。その甥のトゥグリル・ベク,チャグリー・ベクChaghrī Bek(987‐1060)らは,1038年ニーシャープールに無血入城し,40年にはダンダーナカーンDandānqānの戦でガズナ朝軍を破り,ホラーサーンの支配権を手中に入れた。55年にトゥグリル・ベクはバグダードに入り,アッバース朝カリフより史上初めてスルタンの称号を公式に受け,東方イスラム世界における支配者として公認された。…

※「チャグリー・ベク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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