チョーモン,S.de(読み)ちょーもん

世界大百科事典(旧版)内のチョーモン,S.deの言及

【スペイン映画】より

…《糧なき土地》(1932)と《ビリディアナ》(1961)と《哀しみのトリスターナ》(1969)はスペイン映画史には欠かせない作品になっている。 スペイン映画のパイオニアとして知られるのは,カメラマンでありアニメーション作家でもあるセグンド・デ・チョーモンSegundo de Chomón(1871‐1929)で,イタリア史劇の超大作《カビリア》(1913)の撮影を担当したことでも名高い。しかし,スペイン映画が初めて国際的に注目されたのは,50年代に,イタリアの〈ネオレアリズモ〉の影響から生まれたベルランガLouis Garcia Berlanga(《ようこそマーシャルさん》1952)とバルデムJuan Antonio Bardem(《恐怖の逢びき》1955)の作品がともにカンヌ映画祭で受賞してからであり,〈新しいスペイン映画〉への期待が深まったが,フランコ政権の検閲のきびしさもあって飛躍的な発展を見せず,60年代後半からようやく,ブニュエルの後継者をもって任ずるサウラCarlos Saura(《ペパミント・フラッペ》1967,《カルメン》1983)に次いで,エリセVictor Erice(《ミツバチのささやき》1973,《エル・スール》1983)のような〈真の〉スペイン映画が登場してきたばかりである。…

【スペクタクル映画】より

…その原点が映画草創期の1900年代からつくられはじめたイタリアの古代史劇で,当時ローマ史を背景とした文学作品があいついで映画化され,その多くは動きの少ない絵巻物的作品に終わったが,5000人のエキストラとほんもののライオン30頭を登場させてローマの炎上やキリスト教徒の殺戮(さつりく)を描いた6000フィート,9巻,2時間の《クオ・バディス》(1912)と,ローマとカルタゴの第2次ポエニ戦争を題材とした12巻(オリジナル版は4時間を超えたといわれる)の《カビリア》(1914)はスペクタクル映画の草分けとなった。とくに後者はイタリアのサイレント映画の頂点を示す作品であり,著名な詩人,小説家,劇作家,軍人であったダンヌンツィオが荘重華麗な文学的字幕を書いたことでも知られ,スペイン出身の名カメラマン,セグンド・デ・チョーモン(1871‐1929)の移動撮影や,のちにハリウッドで〈レンブラント・ライティング〉と名づけられた人工光線による下からの仰角(あおり)ぎみの照明といった革新的な技術が各国の映画に大きな影響をあたえ,アメリカのD.W.グリフィスは《カビリア》のプリントを1本手にいれてつぶさに研究し,アメリカ最初のスペクタクル映画《国民の創生》(1915)と《イントレランス》(1916)をつくった。 スペクタクル映画はグリフィス以来,ハリウッドのお家芸になって今日まで続いているが,全映画史を通じてその最大の推進者となったのが〈スペクタクルの巨匠〉の名をほしいままにしたセシル・B.デミル監督である(他方,フランスにはほとんど狂い咲きのように大スペクタクル映画をめざしたアベル・ガンス監督の孤高の存在がある)。…

※「チョーモン,S.de」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む