世界大百科事典(旧版)内のチョールヌイ,I.の言及
【千島列島】より
… ロシア人は,17世紀末にカムチャツカを征服した後,そこを足場にして南下を開始し,1697年コサックの首領アトラーソフVladimir V.Atrasovがカムチャツカより北千島を望見,1711年(正徳1)アンツィフェーロフDanila Ya.AntsiferovとコジレフスキーIvan P.Kozyrevskiiがシュムシュ島,パラムシル島に遠征し,39年(元文4)にはベーリング探検隊の支隊シパンベルグMartyn P.ShpanbergとウォールトンVilem Val’tonが千島列島を南下して仙台および安房沖に達した。以後狩猟,交易,毛皮貢税(ヤサク)徴収を目的に千島への進出はいっそう顕著になり,68年(明和5)コサックの百人長チョールヌイIvan Chyornyiが毛皮貢税徴収のため択捉島まで到達したのをはじめ,78年には,シベリアの企業家ラストチキンの派遣したシャバーリン一行が根室半島のノッカマプ,次いで翌79年厚岸に来航して松前藩吏に通商を求めるに至った。 幕府もこのころから北方への関心を強め,85年(天明5),86年山口鉄五郎,最上徳内らを千島調査に派遣し,最上徳内はウルップ島まで探検して同島以北のロシア人の動向について情報を得た。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」