世界大百科事典(旧版)内のツィンマーワルト左派の言及
【ツィンマーワルト運動】より
…参加したのは,推進役のスイス,イタリアをはじめ北欧3国,ポーランド,ルーマニア,ブルガリアの社会主義者,亡命ロシア人の各派,ドイツ,フランスの反対派,計11ヵ国38名で(イギリス代表は出国が許されず不参加),城内平和政策を批判するとともに無併合の講和実現を訴え,執行部として,スイス人のグリムRobert Grimm(1881‐1958)らから成る国際社会主義委員会(ISK)を選出した。このとき,〈戦争を内乱に〉と主張し,第二インターナショナルの枠を大胆に超えようとするレーニンら8名が〈ツィンマーワルト左派〉を形成した。16年4月24~30日,スイスの保養地キーンタールKientalで開かれた第2回会議では,左派は40数名中12名を占めて発言力を増し,いっそう急進的な決議を採択させたが,大勢は第二インターナショナルとの決別には賛成でなかった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」