ツッカロ,F.(読み)つっかろ

世界大百科事典(旧版)内のツッカロ,F.の言及

【ツッカロ兄弟】より

…16世紀半ばから17世紀初頭にかけて,ローマの古典主義的マニエリスムに指導的な役割を果たした画家兄弟。兄のタッデオ・ツッカロTaddeo Zuccaro(1529‐66)はマルケ地方サンタンジェロ・イン・バードSant’Angelo in Vadoの生れ。14歳でローマに出,ラファエロ派の装飾様式を独力で身につけ,パラッツォ・ファルネーゼ(カプラローラ)の装飾,サン・マルチェロ・アル・コルソ教会の《パウロの改宗》など,各ジャンルに才能を発揮した。…

【バロック美術】より


【バロック美術の展開】

[イタリア]
 イタリアでは16世紀末に後期マニエリスムが支配的であった。これは反宗教改革の図像統制下に置かれたため,前期マニエリスムの官能的,主観的表現を捨て去った擬古典的な形式を特色とするもので,ローマの大事業を占有していたカバリエル・ダルピーノCavalier d’Arpino(1568‐1640)とフェデリコ・ツッカロを代表とする。一方,北イタリアのボローニャの後期マニエリスト,ルドビコ・カラッチ(カラッチ一族)はベネチア派とエミリア派(コレッジョ)を研究し,その従弟アゴスティノ,アンニバレの兄弟とともに1582年アカデミア・デリ・インカンミナーティを創設して芸術家の指導にあたった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」