世界大百科事典(旧版)内のテアティノ修道会の言及
【修道院】より
…トマス・ア・ケンピスのいたアグネテンベルク修道院と同様,フローテの創設した〈共同生活兄弟会〉に属した約50の修道院は,ネーデルラントとドイツに〈新しい信仰Devotio moderna〉と呼ばれる敬虔主義的運動を民衆の間にも広めるし,イタリアでは,従来の観想修道院が托鉢修道会の組織を採り入れた〈修族congregatio monastica〉という新しい修道組織によって新生する。15世紀から16世紀にかけてイタリアにはたくさんの兄弟会が結成され,そのなかから1524年にはテアティノ修道会が生まれ,その4年後にはフランシスコ会の改革を目ざしたカプチン会も創設された。〈信仰のみによって義とされる〉というルターの宗教改革は,清貧や貞節によって義とされる修道院の存在を無意味としたために,ドイツでもイングランドでもプロテスタント諸国の修道院はほとんど解散させられたが,これらの諸国でも修道士の倫理は〈世俗内禁欲〉の精神として生き続けた。…
【修道会】より
…また従来の修道会で再生されたものも多い。フランシスコ会から分かれたカプチン会,スペインのアビラのテレサによる改革(跣足)カルメル会,ローマの兄弟会から発展したテアティノ修道会,ミラノのバルナバ会があげられる。1534年イグナティウス・デ・ロヨラによってパリで結成されたイエズス会は40年正式の修道会として認可され,その9年後早くも日本に宣教師を派遣するほどの活力を示し,時代へのみごとな適応を示した。…
※「テアティノ修道会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」