世界大百科事典(旧版)内のトゥール派の言及
【カロリング朝美術】より
…一方,〈ランス派〉とよばれるランス近郊の修道院で生まれた《エボの福音書》(835以前),《ユトレヒト詩篇》(820‐830)では,筆が速く,輪郭線は震えるような波状をなし,古代風の静けさはない。アルクインはトゥールのサン・マルタン修道院に写本筆写所を設けたが,ここは840年ころから《グランバルの聖書》(840ころ),《ビビアンの聖書》(850ころ)など,今日〈トゥール派〉とよばれる端正な作品を生んだ。カロリング朝写本芸術の末期を飾るのは,カール2世(禿頭王)の宮廷に関連するといわれる《ザンクト・エンメラムの聖書》をはじめとする一連の豪華な作例である。…
※「トゥール派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」