トルキトリオ・ディ・ラコン・ウナリ家(読み)とるきとりおでぃらこんうなりけ

世界大百科事典(旧版)内のトルキトリオ・ディ・ラコン・ウナリ家の言及

【サルデーニャ[州]】より

…711年以降はアフリカやバレアレス諸島などからのイスラム勢力によって沿岸部はほぼ3世紀にわたって支配されるようになった。内陸部のキリスト教勢力は11世紀になってようやく団結して,イスラム勢力と戦うようになり,1066年にカリアリのトルキトリオ・ディ・ラコン・ウナリ家の支配が確立した。同時にこの頃からピサ勢力の浸透が始まったが,やがてジェノバ勢力もピサに対抗して商業面および政治面でサルデーニャへの浸透をはかるようになり,13世紀にはピサおよびジェノバの両共和国の争いに,教皇,神聖ローマ皇帝,アンジュー家なども加わって,サルデーニャの政治状態はまったく混乱したものとなった。…

※「トルキトリオ・ディ・ラコン・ウナリ家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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