世界大百科事典(旧版)内のドイツ・ロマン派の言及
【アテネーウム】より
…シュレーゲル兄弟(シュレーゲルAugust Wilhelm Schlegel(1767‐1845),F.シュレーゲル)によって編集・発行されたドイツ・ロマン派の文芸機関誌。全3巻6冊(1798‐1800)。…
【幻想文学】より
… 西欧における近代幻想文学の成立と開花は,おおざっぱにいって18世紀末から19世紀にかけての汎ヨーロッパ的なロマン主義の潮流の動向とほぼ軌を一にしている。いわゆるドイツ・ロマン派は,E.T.A.ホフマンの《黄金の壺》《悪魔の霊液》をはじめとする膨大な作品群,ノバーリスの《青い花》,さらにシャミッソー,クライスト,L.A.vonアルニムなどの作品によって幻想文学の新たな宝庫を形成した。フランスでは,ユゴー,ラマルティーヌ,ビニーらロマン派の中心的大作家,大詩人たちは幻想文学に特に見るべき作品を残さず,むしろマイナー・ポエットたち,〈小ロマン派petits romantiques〉のボレルらによって,時代精神を極度に圧縮しつつ逆にその反時代性をあらわにする幻想小説の佳品が作られている。…
【ドイツ文学】より
…自由の理念は,内面の自由や外国支配からの解放に変形され,さらに内面の自由からは諦念の思想が生じて,社会への節度ある奉仕を美徳とする観念が育っていく。ロマン主義も本来の原理からすれば,個人の生の自由な高まりが社会の抑圧を破砕する方向に進むはずであるが,ドイツ・ロマン派の活動期にナポレオン戦争が起こったため,ロマン主義的エネルギーは外国支配からの脱却を求める民族意識の高揚に吸収されていく。ヘルダーの提唱に端を発して,民謡の研究調査が進められ,中世文学が発掘されるなど,自国の遺産を見いだした功績は大きいが,そこに民族性を美化する色合いが強く生まれ,これがドイツの反動的な政治体制と結合しやすかったことは,知っておかなければならない。…
※「ドイツ・ロマン派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」