世界大百科事典(旧版)内のドゥエロの言及
【国土回復戦争】より
…特に北西部のアストゥリアスは早くから西ゴート王国の後継者を自任,その復興を闘争目標に掲げる一方,前述のようにコルドバの支配が及ばないこともあって,8世紀中葉に早くもその領土を半島の約1/4に広げた。 たえまない内紛に対処しながらも,後ウマイヤ朝アル・アンダルスはキリスト教スペイン諸国をドゥエロ川以北に釘付けにし,それ以上の南下を阻止した。しかし,11世紀前半に事態は流動化し始めた。…
【ドウロ[川]】より
…イベリア半島で最大の流域面積(9万8000km2)を有する全長925kmの川。スペインではドゥエロDuero川とよばれる。スペイン北部のウルビオン山(2080m)に源を発し,上流部では古生層の山地を深く刻みながら南東流しているが,ヌマンシア付近から流路を南に,さらにアルマサン付近で西に変え,サモラまで600km,0.8m/kmの傾斜でメセタ北部を緩流する。…
※「ドゥエロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」