世界大百科事典(旧版)内のドジョウなべの言及
【ドジョウ(鰌∥泥鰌)】より
…ドジョウのなれずしは,狂言《末広がり》などを見ても,当時はごく一般的な食べものだったらしいが,まもなく他のなれずしともども姿を消した。現在,ドジョウ料理でもっとも好まれているのは柳川なべで,丸のままのドジョウ汁やドジョウなべをたしなむ人は少なくなっている。その柳川なべは骨抜きドジョウを使うが,裂いて頭と内臓と骨を除くという調理法に気がついたのは江戸時代も後期に入ってからのことであった。…
【柳川なべ(柳川鍋)】より
…筑後柳川(福岡県)産の土なべを使ったための名などとするが,語源ははっきりしない。《守貞漫稿》によると,文政(1818‐30)初年に江戸南伝馬町の万屋某なる者がドジョウをさいてなべ煮して売り出したのが骨抜きドジョウなべの始まりだという。その後,天保(1830‐44)の初めころ横山同朋町に〈柳川〉という名の店が開業して評判になり,いくつもの支店を出すほどに繁昌した。…
※「ドジョウなべ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」