ドラホマーノフ,M.P.(読み)どらほまーのふ

世界大百科事典(旧版)内のドラホマーノフ,M.P.の言及

【ウクライナ】より

…ここではすでに1848年に農奴解放が行われ,60年代の改革で国会,地方議会も開設されて,まがりなりにも合法的なウクライナ人の活動が可能だったからである。ジュネーブで亡命生活を続けていたM.P.ドラホマーノフ(1841‐1895)やイワン・フランコ(1856‐1916)の活動によりガリツィアはしだいに民族運動の中心となり,〈ウクライナのピエモンテ〉ともいうべき重要な役割を演じることになった。90年,ウクライナ急進党がガリツィアで形成され,94年にはリビウ(リボフ)大学にウクライナ史の講座ができ,M.S.フルシェフスキーが教授となった。…

※「ドラホマーノフ,M.P.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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