世界大百科事典(旧版)内のドラモント,J.E.の言及
【国際連盟】より
…国際平和の維持を目的として第1次世界大戦後設立された国際機構。第2次大戦の勃発によって形骸化し,戦後国際連合にその任務をゆずって消滅した。
[成立]
平和維持のための国際機構という構想は古代ギリシア以来繰り返し提唱されてきた。さまざまな分野の国際協力は国際関係の緊密化とともに19世紀後半以来発展したが,戦争と平和という高度に政治的な問題には及ばなかった。大規模な常設の国際平和維持機構の必要は,第1次大戦の惨禍によって初めて痛感され,1918年1月ウィルソン・アメリカ大統領の〈平和のための14ヵ条〉の中にとりあげられた。…
【リットン報告書】より
…満州事変について日本は国際連盟で不拡大を言明したが,1931年10月8日関東軍の錦州爆撃,11月の遼西進攻作戦などにより,国際連盟は日本に対する不信を強めた。孤立に陥った日本は,国際連盟事務総長ドラモントJ.E.Drummond(1876‐1951)のすすめで,現地への調査委員会派遣を提案し,12月10日の理事会でこれが可決され,32年1月委員長にリットンV.A.G.R.Lytton(1876‐1947)(イギリス),委員にマッコイF.R.McCoy(アメリカ),クローデルH.Claudel(フランス),シュネーH.Schnee(ドイツ),アルドロバンディL.Aldrovandi(イタリア)が任命された。リットンらは2月3日ヨーロッパを出発し,アメリカを経て,29日東京に着き,日本政府首脳らと会見したのち,3月11日中国へ向かい,各地(上海,南京,北京,〈満州国〉など)で現地調査を行った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」