世界大百科事典(旧版)内のなだれ閉山の言及
【石炭鉱業】より
…調査団は62年10月に第1次石炭対策を答申し,石炭が重油に対抗できないことは決定的であるとしつつも,石炭鉱業の自立化は必要であるとして,スクラップ・アンド・ビルド政策の促進を打ち出した。ビルド鉱においては坑内構造の改善,ホーベル・ドラムカッターなど採炭機械の普及,水圧鉄柱・自走枠の使用など西欧水準に迫るほどの合理化が推進されたが,スクラップ化は急激で〈なだれ閉山〉となった。炭鉱数は1961年度末の574から64年度末には263と半減し,生産は1961年度の戦後最高の5541万tから64年度には5077万tに漸減した。…
【筑豊炭田】より
…第2次大戦後は経済再建の重点産業の一つに位置づけられて復興をとげ,50年代は年間1300万t前後の生産で全国炭田中の首座を保持した。しかし60年代の石炭鉱業合理化政策の推進のなかで,筑豊は,なだれ閉山となり,60年の170鉱1360万tが70年の16鉱397万tへと急減した。73年大ノ浦鉱の閉山で坑内掘りはなくなり,わずかに残った中小2炭鉱も80年代初期に閉山して,筑豊から炭鉱の姿は消えた。…
※「なだれ閉山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」