ナフンテ(読み)なふんて

世界大百科事典(旧版)内のナフンテの言及

【エラム】より

…エラムの主要都市スーサに王国が成立したのは前19世紀半ばであり,〈アンシャンおよびスーサの王〉の称号もこの時はじめて現れる。中期エラム(前1330ころ‐前1110ころ)の時代が最盛期で,ドゥル・ウンタシュ(現,チョガ・ザンビル)に巨大なジッグラトを建設したウンタシュナピリシャ,バビロニアを征服してハンムラピ法典の石碑をスーサに持ち帰ったシュトルクナフンテが有名である。新エラム王国(前750ころ‐前639)はバビロニアと同盟してアッシリア帝国に対抗したが,アッシュールバニパルの遠征軍による首都スーサの破壊によって,滅亡した。…

※「ナフンテ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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