すべて 

ナフンテ(読み)なふんて

世界大百科事典(旧版)内のナフンテの言及

【エラム】より

…エラムの主要都市スーサに王国が成立したのは前19世紀半ばであり,〈アンシャンおよびスーサの王〉の称号もこの時はじめて現れる。中期エラム(前1330ころ‐前1110ころ)の時代が最盛期で,ドゥル・ウンタシュ(現,チョガ・ザンビル)に巨大なジッグラトを建設したウンタシュナピリシャ,バビロニアを征服してハンムラピ法典の石碑をスーサに持ち帰ったシュトルクナフンテが有名である。新エラム王国(前750ころ‐前639)はバビロニアと同盟してアッシリア帝国に対抗したが,アッシュールバニパルの遠征軍による首都スーサの破壊によって,滅亡した。…

※「ナフンテ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

すべて 

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む