ニカエア帝国(読み)にかえあていこく

世界大百科事典(旧版)内のニカエア帝国の言及

【ラテン帝国】より

…ボニファチオは小アジアに領土を割り当てられたが,ヨーロッパ領域との振替えを要求して認められ,残存ギリシア貴族の抵抗を排除して,テッサロニキを中心とする支配領域(1209年以後〈王国〉)をつくり,また彼の主導でギリシア中・南部の征服が,在地ギリシア貴族を排除ないし帰順させながら推進され,アテネ公国アカイア大公国が成立した。 ボードアン1世がブルガリア皇帝のカロヤンKalojanにアドリアノープルの戦で敗北して捕虜となった(1205)後,後継者の弟アンリHenri de Hainau(在位1206‐16)はブルガリア人を討ってトラキアの支配を固め,小アジアでもニカエア帝国のギリシア皇帝テオドロス1世(ラスカリス)と戦って領土を広げ,国威は伸張した。しかしアンリ帝死後,後継者に指名されたその姉妹ヨランデYolande de Hainautの夫ピエールPierre de Courtenayは,西方からコンスタンティノープルに赴く途次アルバニア山中でエピロス帝国のギリシア皇帝テオドロス1世に捕らえられ(1217),息子のロベールRobert de Courtenay(在位1221‐28),続いて後者の弟ボードアン2世(在位1228‐61)と,いずれも幼少で即位した皇帝のもとでラテン帝国は急速に衰退し,小アジアの領土およびレスボス,キオス,サモスをニカエア帝国によって奪われ,トラキアでは同帝国およびエピロス帝国によってコンスタンティノープル周辺に支配を狭められた。…

※「ニカエア帝国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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