世界大百科事典(旧版)内のネーリの言及
【ダンテ】より
…当時の北イタリアはローマの教皇庁と神聖ローマ皇帝とのはざまにあって,自治都市はゲルフ(教皇派)とギベリン(皇帝派)とに分かれ,相克を繰り返していた。フィレンツェではゲルフが政権を掌握していたが,さらにこれが自立政策をかかげるビアンキ(白党)と商業上の利益から教皇と強く結びつくネーリ(黒党)とに分裂し,市の名門チェッキ家(白党)とドナーティ家(黒党)との争いも加わって,熾烈(しれつ)な政争の場となっていた。ダンテは,いわゆる正義の法令(1293)により,貴族が公職につくことを制限されていたのが緩和されると,名目上は医薬業組合に加入し,1295年から市行政の公務につき,96年から97年にかけてシニョリーア直属の百人委員会の一員となり,1300年にはプリオーレにまで指名された(シニョリーア制)。…
※「ネーリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」