世界大百科事典(旧版)内のハノーバー派トーリーの言及
【トーリー党】より
…一方,党内にはウィリアムの王位を認める人びとも現れ,ウィリアム3世の後を継いだアン女王のもとで,一時党勢を回復した。アン女王の死後成立したハノーバー朝に対しては,これを認める人びとがしだいに党の大勢を占めるにいたり,彼らはハノーバー派トーリーといわれる。しかし,ハノーバー朝のジョージ1世即位の翌1715年,ジャコバイトの反乱が失敗したことも手伝い,トーリー党は完全に押さえこまれ,以後60年代までホイッグ党の優位がつづいた。…
※「ハノーバー派トーリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」