世界大百科事典(旧版)内のハノーファー王国の言及
【ザクセン】より
…とくに,ウェルフェン家のハノーファー選帝侯はナポレオンに対する解放戦争にみるべき戦功をあげていないにもかかわらず,同時にイングランド王を兼ねるというその地位を利用してウィーン会議における領土交渉を有利に展開し,ヒルデスハイム,ゴスラーに加えて,フリースラントをも併合することに成功した。かくして,すでに1803年の聖界領接収の際に獲得していた旧オスナブリュック司教領国と合わせて,今日のニーダーザクセンの大半を占める約3万8000km2にのぼるハノーファー王国ができ上がったのである。王国は1866年,力によるドイツ統一を決意したプロイセンの前に敗北して併合されたが,旧王国領はそのままプロイセンの一州として(プロビンツ・ハノーファー)ワイマール共和国末期まで存続した。…
※「ハノーファー王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」