世界大百科事典(旧版)内のハプスブルク・ロートリンゲン家の言及
【オーストリア】より
…この時期マリア・テレジアはプロイセンのフリードリヒ1世に軍事的に対抗する宿命を担って即位し,1740年から80年まで統治した。彼女は1736年ロートリンゲン公フランツ・シュテファンFranz Stephan(1708‐65)と結婚し,それによってハプスブルク・ロートリンゲン家を創設した。彼女は16人もの子をつくり,シェーンブルン宮殿を愛好したが,他面強力な国家改革を推し進め,統一的な行政機構としての官僚制的国家をつくり出した。…
※「ハプスブルク・ロートリンゲン家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」