世界大百科事典(旧版)内のバイエルン刑法典の言及
【行刑】より
…以上の刑罰としての拘禁の進展は,死刑を中心とした専制的・恣意的な刑罰制度に対する啓蒙思想家による批判(ベッカリーア《犯罪と刑罰》(1764)など)にも支えられ,啓蒙君主による立法を皮切りに,18世紀から19世紀にかけての刑法典では自由刑が刑罰の中心となった。例えば,威嚇による特別予防を論難し,罪刑法定主義を主張して近代刑法の父といわれるP.J.A.vonフォイエルバハの手になる1813年のバイエルン刑法典では,定期刑たる自由刑が中心的刑罰となっている。このような自由刑の執行については,新大陸アメリカで発展したものをヨーロッパ諸国が輸入することとなる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」