世界大百科事典(旧版)内のバサラブの言及
【ワラキア】より
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[ワラキア公国の建国]
ワラキアの建国は年代記によれば1290年であるが,史実によって確認される最初の年代は1324年である。年代記によればトランシルバニアの山間部にあったファガラシ国のブラフ人が南下して建国したことになっているが,すでにオルト川左岸地方にいたクネズが勢力を拡大し,その中心をクンプルングからアルジェシュへ移し,バサラブBasarab公(在位1310?‐52)のときにハンガリー勢力を排して建国したものと考えられる。なぜ14世紀初めにワラキアの建国が実現されたかについては,当時ワラキアに大小約2000の村があったといわれるほどの人口増加,生活条件の向上,クネズの政治権力の強化が考えられるが,モンゴルの遠征によってクマン王国が滅び,この地が政治的真空地帯と化したこと,またハンガリー王国の内訌によってバサラブ公が勝機をつかんだという,この地方をめぐる国際的状況も無視することはできない。…
※「バサラブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」