世界大百科事典(旧版)内のバッシーの虐殺の言及
【ユグノー戦争】より
…こうして,〈宗教のユグノー〉は〈政治のユグノー〉へと大きく変容し,内乱勃発の条件は整った。
[経過]
先鋭化する対立のなかで,60年,君側の奸を除こうとするプロテスタントの国王奪還計画〈アンボアーズの陰謀〉は,事前に発覚して失敗に終わるが,62年,ギーズ公配下の一隊が礼拝に集まっていたプロテスタントを殺害した〈バッシーの虐殺〉をきっかけに,以後8次にわたる両派の激突が始まる。カトリックの中心はギーズ公フランソアとその弟の枢機卿シャルル・ド・ロレーヌ,王国筆頭元帥のモンモランシー家の当主アンヌ。…
※「バッシーの虐殺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」