バル・コホバの乱(読み)ばるこほばのらん

世界大百科事典(旧版)内のバル・コホバの乱の言及

【エルサレム】より

…事実,ゴルゴタにおけるイエスの処刑から40年ほど経た後70年,ローマの圧制に対して立ち上がったユダヤ教徒はエルサレムに集まってティトゥス将軍の率いるローマ軍と熾烈な戦いをしたが(ユダヤ戦争),結局ユダヤ教徒側の敗北に終わり,神殿を含むエルサレム中の建物は破壊され燃え落ちた。ユダヤ教徒はその後もう一度反ローマ革命を試みるが(バル・コホバの乱,132‐135),これも失敗,エルサレムはローマ風の町に建て直され,名前もアエリア・カピトリナAelia Capitolinaと変わった。ローマ人はかつてユダヤ教神殿のあった場所でユピテル神を祭り,ユダヤ教徒は原則としてエルサレム市内に住むことを禁じられた。…

※「バル・コホバの乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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